文化生活メモ

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移転

http://d.hatena.ne.jp/irideppoudeonna/

移転しました。ここはアドレスが気に入っているのでしばらく残しておきたいと思います。はてな村につかれたら戻ってくるよ…
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星野智幸『アルカロイド・ラヴァーズ』

結婚情報誌の編集部にいて「結婚」「出産」といった価値観が蔓延した中で生きる咲子と、楽園(パラディソ)で「植物」として自由に恋愛を楽しむサキコのパートが交互に繰り返され、さらにその合間に「わたし=ユキ」の語り(=咲子のモノローグ)が入るという構成で、最後まで読み進めると時間軸の構造をかなりきっちりと設定していることがわかる。

植物としてなら誰とでも恋愛ができるのに対し、人間は一対一の関係に規定されていて、サキコはサヨリを一人占めにしようとした罪で楽園から追放される。楽園は自由に恋愛ができるところだが、文中の言葉を用いれば「容赦のない楽園」であるとも言える。ベンジャミンを間に挟んだ、咲子と陽一の関係性のかけがえのなさをむしろ語っているように読めた。

わたしたちはもう罰を受けることはない。なぜなら、刑の執行中に刑自体を骨抜きにしてしまったのだから。罰を遂行するはずの刑場を、より残酷でより甘美で誰も逃げ隠れできないむきだしの楽園に仕上げつつあるのだから。今度はわたしたちが命ずる番だ。人間たちよ、この楽園で生きたければ、あらゆるものと恋をせよ、と。


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『リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか』

発売日に買ったもののどうもこれまで読む気が起こらなかったのが、ネトスタ動画を見ててモチベーションが上がったので一気読み、というのはわれながらどうかと思う。この本けっこう平積みになってたり、新宿紀伊国屋のマンガ館にも置いてあったりTBSのストリームでも紹介されていたりと、わりとメジャーになってますね。

おもしろかったのは、東の「動物化」という用語に反応した大塚が、ゾライズムはダーウィニズム的な思考が文学に入ってきて、人間を「動物」として生物学的に記述したもので、これが日本に輸入されたら私小説的な自然主義になったという話。これもしかしたら文学史的には常識なのかもしれないけど知らなかったというかそういう見方があるのかと思った。ダーウィニズムとかは学生時代にハイエクとか読むためにちょっと勉強した気がするがほとんど忘れた。



大塚とあずまんのすれ違い(「公共性」への意識の違い)みたいなことはもうさんざんいろんな人が言っているので省略するけど、一つだけ。小さな共同体が人をイキイキさせるのに大塚が疑問を持っていて、それは小さなコミュニティの重圧に耐えかねて人は匿名的なコミュニケーションがとれる都市へ出て行った、それが近代だったんじゃないかというのが根拠にある。だから、自分を承認してくれるようなコミュニティがないのが辛いとか言い出すのは話が一回転しているよな。東は最近(加藤の事件とかを一つのきっかけに)、地縁・血縁といったコントロール不可能なものが人間としての厚みを持たせるのだみたいなことを言っている。これはつまり、コントロール可能な領域を拡大しようとする意志が、コントロール不可能なものへの(無意識的な)欲望も同時に喚起するというようなダブルバインドの指摘ということになるだろう。そうなると問題は、コントロール可能な領域をさらに拡大していこうとする傾向にあるハイ・モダンとしての現代において、コントロール不可能なものをいかに担保するかということになるんだろう。

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小林信彦『私説東京放浪記』

引っ越し魔だった(結果的にそうなった)小林信彦が、自分の住んでいた場所の記憶を振り返りながら、「東京」がどのように変化していったのかを若い人向けに書いたもので、とてもよみやすくおもしろい。15年以上も前の連載なので、それからまた随分変化してしまっている。たとえば、「博物館動物園駅」や「フェヤーモントホテル」など著者のおすすめスポットが消えた。

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グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』

80年代の『幼年期の終り』と評された、グレッグ・ベアの代表作(?)。「知性のある細胞」を作った天才遺伝子工学者が、その細胞どもに体を蝕まれていき、さらには彼との接触を通じて全米中に自分で物を考える細胞が広がっていくというサイエンス・フィクション。1985年の作品だが、アメリカが壊滅してソビエトが唯一の超大国になったみたいな話が出てくるのが時代を感じさせる。というか、僕の貧しいSF読書歴によると、冷戦構造を前提としたSFって非常に多い気がする。一人の人間の中に何億とある細胞は、「自分で考える」とはいえそれは≪個人≫で考えるということではなくて、ある種の全体性を持つという設定なわけだが、そういう現象が社会主義国家ソビエトではなくアメリカ合衆国から出てきたというのがねじれているというか逆に当たり前というか…というつまらない話はともかく、非常におもしろかった。

おもしろかったポイントは、「存在」ではなく「情報」があるのだ、という点で、これは同一性(=アイデンティティ)ではなく差異が重要なのだ、という話だ。そして、こういった認識は解説の言葉を借りれば「非ヒューマニズム」ということだろう。ここで突然話題をグーグルという私企業についてに転換すると、グーグルは今年で10周年らしい。今週の東洋経済でも特集が組まれている。グーグル的なものというのは、つまるところ「思想」というものを殺すものだというように思う。創業者であるペイジとブリンのミッションは、「人類が使う全ての情報を集め整理する」ということだが、これはそうなると人間が幸せになれるとかそういう「思想」に基づいていたものではなく、技術的に可能だからやっちゃうよってことだろう。ストリートビューにしろユーチューブ(買収)にしろ、支えているものは思想ではなく技術。だから、著作権が云々という「思想」に依拠したこれらへのバッシングは、究極的には反論としての力を持たないのではないか。つまり、グーグル(的なもの)が現在勝利しているのだとすれば、それは技術に対する思想の敗北といえる。そして、技術は確かに人間が生み出したものだが、その当の人間が必然的に疎外されていくという意味でこれは非ヒューマニズムと呼べるだろう。

ヌー領域に政治や、社会的交流はあるのだろうか? 人間もヌーサイトと対等の投票権を与えられるのだろうか? 人間は、もちろんヌーサイトになっていた―だが、ほんものの、オリジナルのヌーサイトのほうが、多少なりとも重視されているのではないだろうか?


この作品では、知性のある細胞は「ヌーサイト」と呼ばれている。これは、「情報」と云い換えることができる。グーグルが検索をかけるような情報の海は、人間が生産したものだが、そこでは「人間」もまた情報として認識される。人間は物語=同一性を求めるが、それは単に情報として処理される。たとえば、僕がとても落ち込んでいて、すごく悩んでいるとき、その悩みには二重性がつきまとう。それは、まず第一に落ち込むような出来事による悩み(失恋でも受験に失敗でもなんでもいい)。そして第二に、そのような個人にとって決定的な悩みが、たとえばJ−POPの歌詞で歌われているようなありふれたどこにでもあるものだということによる悩みである。さてさて、いったい僕は何が言いたいのか。引用部分では、オリジナルの方が重視されるとあったが、そうは思えない。でも、「人間」が重視されるとも、思えない。すべての情報は等価であり、同じようにくだらなく、そして同じようにかけがえがない。この作品は、グーグル的なものが世界を覆う、「技術」が勝利した世界を描きつつ、同時にバーナードとオリヴィアの別様にありえた可能性を描くことで、きわめて個人に光をあてたものにもなっているのだ。

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『教えて、金融のこと 北村センセイに聞く30の質問』

非常にわかりやすく、おもしろかった。サブプライム問題について説明をするために、証券化やバブル経済、バランスシートの解説をして、「リスクの分散を図り、その分散されたリスクをテイクして利益を上げる」という金融の本質まで話が及ぶ。金融と社会との関係や、これから金融業界に入る人への心構えなど、どれもわかりやすくためになった。

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鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二『戦争が遺したもの』 

『〈民主〉と〈愛国〉』を書いてまもない小熊が、上野千鶴子を誘って鶴見俊輔にインタビューをした記録。インタビューは三日間にわたり、幕間に雑談をはさみつついろいろなことをしゃべる。世代的には鶴見、上野、小熊とどれも重なっておらず、上野が小熊に向って「若い。昔の自分を見ているよう」と言う場面がある。鶴見の実存的な話から「戦後」を語るというのが本筋だが、あのときなぜあれをやらなかったのかとか、どう思っていたのかとか、インタビュアーの二人からかなり厳しいつっこみが入る。特に、「国民基金」の話題のときの上野の突っ込みはかなり辛辣だった。また、小熊と上野の応酬もなかなか刺激的で、アンダーソンと吉本隆明をどうして上野は並列に評価理解できるのか理解に苦しむという小熊に対し、「ご講義をありがとうございます。私にも言い分はありますが、ここは、鶴見さんのお話をうかがう場ですから反論は控えましょう(笑)」と上野が返すシーンはちょっと驚いた。


鶴見 俊輔,上野 千鶴子,小熊 英二
新曜社
¥ 2,940
(2004-03-11)
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エプソン品川アクアスタジアム

エプソン品川アクアスタジアムに行ってきた。土曜の昼間に行ったが、かなり混んでいて満足度は低め。とにかく子どもが多かった。「アダルトな香り」などいっさいしない。狭くて魚の種類も少ないし、ディスプレイにも工夫がない。これで1800円は高すぎる。もっとも混雑度はイルカショーが始まると少しはマシになった。夜に行けばまた印象も変わったのだろうか。
ひびのあれこれ | permalink | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

鈴木琢磨+佐藤優『情報力―情報戦を勝ち抜く“知の技法”』

最近原稿を書きまくっている佐藤優の、北朝鮮をテーマにした「インテリジェンス本」。鈴木琢磨さんは毎日新聞の人で、北朝鮮ウォッチャー(失礼な表現だ)。基本的な主張は、情報が「無い」からわからないのではなく、情報を読み取る力=インテリジェンスがないからわからないので身の回りの情報をきちんと見ろ、というもので『ゼロ年代の想像力』の主張に通ずるものがある、かも笑。具体的にいえば、北朝鮮は「謎」でもなんでもなく、彼らなりの論理に従って動いているし、その論理にアクセスする手段を旧宗主国の日本は持っているはず、というとが書かれている。たとえば、「東洋経済」の連載でも言っていたが、新聞の力を侮るべきではないという。僕は昼休みと週末に会社、図書館のバックナンバーをまとめ読みするだけで購読はしていないのだけど、こういうこと言われるとヘラトリとか取りたくなる。読めないのに。

佐藤 優,鈴木 琢磨
イースト・プレス
¥ 1,680
(2008-05-08)
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板尾創路『板尾日記 2』

2006年の日記。『板尾日記』を読んだときも思ったが、役者としての仕事が多いなーという印象。3月の日記に「やはり、人間は人と人との関わりの中から生まれるドラマや奇跡に興奮する生き物なんやなと思った」とあるが、こうした人間同士の関係から考えていく姿勢と、「朝から板尾創路はどうかと思うが」という自己客観化がこの人の魅力なんだと思う。あと、「老い」への言及が多くなった印象があるが、まだ40代前半なので、これは「老い」というのも年代によっていろいろなバリエーションがあるということなんだろう。20代には20代の「老い」がある。一方で、乗馬を始めたりもしてて、馬に乗った笑顔の板尾が表紙。

板尾 創路
リトル・モア
¥ 1,575
(2007-03-26)
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